デジタル時代の授業
授業で提示される教材・教具は、コンテンツ。それをこれからは、子どもたち自身が作る時代になるのだと考えています。
与えられていた立場から、作るへの転換です。
与えられるから、作るへ。
これがデジタル時代の授業の姿になると考えています。これまでの「与えられる」という発想から、「作る」という視点への転換です。
「作る」ことから考える授業へ、の転換がおこなわれるように思えてなりません。もしくは、デジタル機器を活用した授業というのは、「与えられる」から「作る」への転換を意味していると思えてならないのです。
アナログ時代の教材・教具は、全てが教師によって「与えられる」ものであったと思います。子どもたちが授業の中で策したものは、作品として、教室で共有されることはあっても、それが教材や教具のような扱いを受けることは、少なかったように思えます。
アナログ時代の子どもたちは、「与えられて」から考えるが、授業の中での主な関わりでした。教師によって準備された教材・教具を活用して、学ぶことが通常でしょう。皇子が事前に準備した世界観の中で、物事を考えていたと言っても良いでしょう。教師が、授業準備として考えた「物語」に沿って、活動していると言っても、過言ではないのです。
授業の先導役は、あくまでも教師。教師の導く方向に、子どもたちは追い込まれていくことになるのです。そこでは、逸脱は許されません。先導されるままに進むことができない子どもたちは、落ちこぼれとなってしまうのです。
学びでは、ある程度の方向性は必要です。だからといって、「物語」のすべて、起承転結のすべてが決められている中で、あたかもそのレールの上を走るかのような活動だけが許されると言うことでは、学びの「意欲」はけっして、盛り上がることはないでしょう。淡々と決められたレールの上を進むことが、学校の成績を上げるための唯一の方法なのです。
デジタル化は、ここの自由な活動を生み出すことができます。ひとり1台のコンピュータ環境が整えば、どの教科の授業でも、それぞれの個に適した活動を展開することが可能です。子どもたち個々の活動が、授業を支えていくという本来の姿に戻すことが実現できるのです。
デジタル化した情報は、共有することが容易になります。アナログ的な情報とは比較にならないほど、共有が容易になると同時に、再編集も容易になるのです。教師から提示された情報を、子どもが自由に再編集することも、容易いこととなるのです。
そのことから、最低限の教材・教具に基づいて、発展的な教材・教具の作成を可能にします。再編集が容易になることで、完成版を配布するのではなく、未完成なものを、子どもたちが完成させる、という活動も実現できるのです。
グループワークも、質的な転換を求められるでしょう。

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