子どもたちの力で

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2009年6月16日、6年生の情報科な日々。関西方面フィールドワークの事前準備を、グループで進める活動です。

情報科な日々で大切にしたいのは、可能な限り、子どもたち自身の力で進むこと。

総合的な学習としての情報科な日々。だから子どもたちの主体性を重視する、のではありません。

自分たちでやった方が楽しいに決まっている!

からです。小学生ですから、テーマから自分たちで探してくる、というのはハードルが高すぎてしまうでしょう。ある程度の枠組みを構築しておいて、そこから逸脱しない限りは、自由な学びが実現できる、という限定付きです。

枠組みが設定され、それが教師が準備した教育的な意図に子どもたちを封じ込めているとするならば、それは強制と呼ばれても仕方がないかもしれません。

子どもたちを縛る枠組みは、教育的な意図を持って、こちらが設定したものですね。テーマから始まって、作品の完成に至るすべては、こちらの準備した枠組みに閉じ込められる構成です。

だからと言って、強制していることにはならないと考えています。

社会生活も法という枠組みに縛られて営まれています。自由が法で縛られるという側面を有していると同時に、それが許されているのもまた、法であるという性質を見失ってはいけないでしょう。やるべきことが決まっていることや、上から降りてきた課題だかと言って、それが「強制」とイコールのなるとは限らないのです。

社会生活と同じように、ある約束ごとの上の保証されている自由な学びも、自由な学びとすべきなのです。すべて、あらゆることを、好き勝手にすることが自由であるとのは、完全な誤解に過ぎないと考えています。

枠組みを守る限り、子どもたちには、自由な学びが保証されているのです。自由に自分たちなりの方法で、関西方面フィールドワークを切り抜くのです。

関西方面フィールドワークに連れていかれるのではなく、自分の形を求めて、歴史の現場へ、自らを投じるのです。

自分一人ではありません。自分たちで作ったグループが一緒にいるのです。身近な仲間と一緒に、歴史の現場へ飛び込むのです。


準備体操が十分でなければ、歴史の荒波に呑み込まれてしまうでしょう。関西方面フィールドワークで訪れる場所は、どこも数百年の歴史を有しているのですから。

情報科な日々は、準備体操の時間です。どんな助走をとれば、歴史の荒波を乗り越えることができるでしょうか。それも、仲間ととも考えなければならないのです。

「日本の歴史の学習」を歴史学にまで高めるためには、自分たちのその方法を見つけ出さなければならないのです。

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