知の体力
体力というと、体のことのようにも思えますが、知にも体力があると思っています。
「知の体力」。
この言葉は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府の学環長のご挨拶の中にも見えています。
東大の先生が言っているから正しい、と言いたいのではありません。ここで言う「知の体力」という言葉は、情報科な日々が独自に考えつくことではなく、誰でも考えつき思いつくことなのです。
その一文だけを引用しよう。
自分自身のスペシャリストとしての「知の体力」を強力に練り上げてほしいのです。(http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/about/message.html)
「知の体力」というのは、練り上げられるもの。
スペシャリストとして、自分自身のものであること。
この2点がここからとらえられることだろうか。「知の体力」というのは、自分自身の中にあると言うことを認識すべきだろう。そして、自分自身のために個々人で練り上げていくものであると言うことが分かるだろう。
誰かに頼って与えてもらうものではない。自分自身が、主体的に練り上げていくことが必要なのだ。
体力という身体能力に関することを考えれば分かりやすいだろう。それを身につける方法は指導を受けても、それだけで体力が身につくわけではない。自分自身が指導を実践し、鍛錬を積み重ねることだけが体力をつける唯一の方法であることを考えれば明らかだろう。
「知の体力」も誰かに与えられるものではないのだ。誰かから与えられるのは、道標に過ぎない。それに沿って、自分自身が自発的に鍛錬を積むかどうかで身につくかどうかが決まってくるのだ。
強制されるものではない。自らの中にある力でしか「知の体力」を身につけることはできないのだ。
さあ、始めよう!
「知の体力」のための学びを。
そして我々は、そのための道標を示し続けなければならいのだ。

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