やっぱりマウスが動いてしまう
2009年10月29日、5年生家庭科とのコラボレーション。グローバルエクスカーションのまとめをKeynoteで行っています。
展覧会での発表を考えると、実質の残り時間はあと2時間。もちろん、今日を含めての話です。
子どもたちは、いつでものんびり。楽しく進めるのは良いですが、楽しいあまりにはしゃぎすぎて大目玉を食らうこともあります。それもけじめの学びですから、子どもとっては必要なこととなるのです。
前回に引き続き、可能な限り、子どもたち活動時間を確保することに専念しました。挨拶が終わって、起動できたらすぐに作業の開始です。
前回の授業から味を占め、始まりのあいさつが終わったら、即作業時間としました。当然、簡単な説明はしました。ほんの1・2分の説明が、導入です。
子どもたちは、Keynote上手に使ってまとめを進めています。Keynoteの良いところは、保存先にネットークドライブが設定できることです。ローカル上の「ムービー」フォルダにしかiMovie Projectsを保存できないiMovieと比べ、子どもたちには扱いやすいソフトということができます。
グローバルエクスカーションの食に関するまとめを行うKeynoteファイルは、ファイルサーバ上の出席番号のフォルダに保存してあります。出席番号のフォルダを開いて、Keynoteファイルをダブルクリックすれば、それだけで起動は完了。iMovieのように「復元」する作業は必要ありません。こちらも、「復元」の作業がない分、緊張感から解放されるソフトということができます。
インターネットはSafari。Windowsの標準的なブラウザのIEの使い方がわかれば、難しいことはありません。Windowsを使い慣れた子どもでも、Safariを使うことに、特別な感情を持つことなくSafariを使った調べ物を進めることができています。
Safariで調べて、Keynoteにまとめる。
これがもっとも基本的な動き。Keynoteに写真を貼り付けて表現を豊かにしたい時は、情報科な日々と同じように、グローバルエクスカーションの時に先生方が撮影したデジタル画像を取り込みます。「取り込む」と言っても、方法は至って簡単。Keynoteのスライド上に、画像をドラッグ&ドロップすればそれで終了です。
前回から、このような説明を繰り返すことをやめました。思い切って、と言うことになると思っています。子どもたちがきちんと、作業手順やソフトの扱い方を覚えているか不安になります。授業の導入時には、どうしても同じ説明の繰り返しになってしまいます。
子どもたちは、我々が思ってる以上に優れている。
そういう認識で、細かな説明を省略して、活動の時間が1分でも多く取れるようにしました。念押しして確認したのは、マウスの使い方。子どもたちのマウスの使い方を見ていると、どうしても小言を言いたくなります。
きちんとマウスを使っているとは言い難いからです。
指導する側の責任でしょうが、急げば急ぐほど、慌てれば慌てるほど、マウスの扱いがどんどん雑になっていきます。クリックをする時に、どうしてもマウスを動かしてしまいます。ダブルクリックをする時に、どうしてもマウスを動かしてしまいます。
ボタンを押す時にマウスを動かすとどうなるか?
もうクリックにはなりません。もうダブルクリックはできません。ボタンを押しながらマウスを動かしてしまうと、ドラッグになってしまうからです。
コンピュータは、それが厳密!
デジタルの世界では、ほんの少しなら大丈夫が通じません。アナログの世界なら、ほんの少しが通じます。自分が意識するしないにかかわらず、コンピュータが動いたと感じるかどうかが重要。
ちゃんとやっているのにおかしくなった。
なにか不都合が起こると、子どもたちは必ずといって良いほどこう発言します。これを否定することはできないでしょう。子どもたちは、確かに、「ちゃんと」やっているのです。ただしそれは、「自分は」という前提の中での話です。
コンピュータにとって、自分がちゃんとやっているかどうかなんて関係ありません。何らかの信号を感知したかどうかです。自分がちゃんとやっているつもりでも、無意識のうちにほんの少しでもマウスを動かしてしまうと、クリックしたつもりがドラッグになってしまうのです。
子どもたちの「あやふやさ」がアナログの世界では認められます。しかし、デジタルの世界では、あやふやさが全く否定されてしまのです。必要なのは確実と正確。意識するしないにかかわらず、ほんの少しでもマウスを動かしてしまって、それをコンピュータが動いたと判断すれば、クリックはドラッグと認識され、思ったようにコンピュータが反応してくれなくなるのです。
自分が意識したことと、コンピュータが認識したことの違いです。子どもたちはきちんとやっているのでしょう。そういう主張は、正しいと思っています。子どもたちの側に立てば、それは正しい主張です。
しかし、コンピュータの側に立ったらどうなるでしょう。
自分がちゃんとやっている、という子どもたちの主張は、けっして正しいとばかりは言えません。わからないうちにマウスを動かしてしまえば、クリックがドラッグになります。ダブルクリックは、ドラッグしたあとにクリックしたこと、もしくはクリックしたあとにドラッグしたことになってしまうのです。
このことを別の表現に変えてみましょ。
自分がどうしたかなんて関係ありません。相手がどう受け取ったかなのです。
こういう表現に変えてみると、デジタルの世界とアナログの世界がつながってしまいます。誰かに言葉を発します。自分の発言を聞いて、相手が急に怒り出したとしたら、どうしますか。子どもたち同士の間では、たぶん、けんかになるでしょう。
なんでそんなこというんだよ!
と、相手が怒り出せば、
なんで怒るんだよ!
と、言い返すことになるでしょう。
そこから始まるけんか。その原因が、自分の何気ない言葉が、相手の琴線に触れて、怒りをかったと考えることができます。 自分が話したしたことに対して、予想もしていなかった反応がかえってきたことで、発言者も怒り始めてしまいます。発言者は相手を怒らせるつもりは全くない。聞き手は相手からそんなことをいわれる筋合いはないと思う。お互いの考えが全く違った方向となってしまい、相互理解ができていないことが原因です。
これってコンピュータの話と同じじゃありませんか?
自分は意識していなかった。意識せずにやったのだから、コンピュータが勝手におかしくなった、と言う考え方です。意識するしないにかかわらず、コンピュータは、命令通りに動きます。命令通りに動かない時、それはコンピュータが正常ではありません。コンピュータが暴走している時です。
クリックをする時に、意識するしないにかかわらずマウスを動かしてしまう。マウスが動いてしまう。これはこちらの考え方。それをコンピュータでは、マウスのボタンを押しながら動かしたと感じるのです。コンピュータは、クリックではなくドラッグせよと命令されたと認識し、クリックしたつもりがドラッグという反応としてかえってくるのです。
クリックしようと思って、マウスが動いてしまうことがいけないというのではありません。情報科な日々では、それを練習しているのですから、間違ったことをしてしまうことがいけないと断言することはできないのです。
大切なのは、マウスをきちんと使おうと思う気持ちです。そして、マウスをどう使っているかをきちんと意識しながら活動することです。つい手が動いてしまった、ということは誰にでもあるでしょう。大切なのは、つい手が動いた、と言うことを認識しながら活動しているかどうかなのです。
なにもしていないのに、変な画面がでてきた。
コンピュータが壊れていない限り、そんなことは有り得ないのです。変な画面が出てきたのではありません。コンピュータは君たちが命じたとおりにきちんと動いています。君たちの命令が間違っていたのです。
そういう認識をもって、謙虚に行動してすることです。自分は正しくやっていたという主張をするではなく、間違ったことをしたから、間違った操作にコンピュータは正しく反応したという意識をより強く持つ必要があるのです。

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