もっと中身にこだわって欲しいのですが・・・。
2010年3月9日、4年生の情報科な日々。
47都道府県の「私は誰でしょう」の作成を通じて、都道府県の特徴を学ぶ学習。
4人が1つのグループになって、作業を進めています。
4人で47都道府県ですから、単純に計算しても、1人が12コほど担当する必要があります。
それを情報科な日々の回数で割れば、1回にどれくらいの都道府県をこなしていかなければならないかが決まります。
情報科な日々の始まりの時間の説明はほとんどカット。
子どもたちの作業時間を増やすことを考えます。
いろいろあっても5分程度でしょうか。その時間だけで、作業が始まります。
終了は、ベルの鳴る10分前。
最後の10分は、作品を共有する時間とします。
日付と出席番号を関連させて、センター画面に作品を出して、共有です。
共有する時に重要なことは、注意をきちんと聞くこと。
提示された作品に対する単純な論評ではなく、全員に向けた諸注意であることを自覚してもらいたいと思っています。
センター画面に映し出された作品は一例。
その例に基づいて、作り方の確認をしていくのです。
出来上がった作品を共有する時間は、これからの作業を進めていく上での注意点を聞く時間でもあるのです。
子どもたちは、そういうことが苦手。
自分の作品ではありませんから、その良い点と悪い点をおもしろおかしくしようとします。
作品を評価しているのであれば、それも有りでしょう。
しかし、その場合も、友だちが一生懸命作った「作品」であるという意識を持って、真摯に共有しなければならないはずなのです。
共有を通じて気になったこと。
子どもたちが、先を急いでいるということです。
子どもたちの作品を見ていると、一番、大切にしているのは47を終わらせること。
ひとつひとつを大切にしたから、47まではいかなかったは許されないといわんばかりの進め方なのです。
子どもたちにとって、47はノルマのように写っているのでしょう。
47都道府県のすべてを終わらせることに、最大と価値を見出しているのでしょう。
そう考えることが、子どもたちにとってもっとも都合が良いことなのでしょう。
47都道府県の「私は誰でしょう」が終わる瞬間は、すべてについて、完成した時です。
それが、子どもたちと共通認識が持てていると思います。
「完成」という言葉の意味は、かなり違っているようです。
47都道府県について、何でも良いから「私は誰でしょう」、もしくはそれらしいものを作り上げれば良いという子どもたちに考えが見え隠れしています。
つまり、子どもたちは、47の「私は誰でしょう」を作ることが、完成と考えているのです。
そうなのでしょうか?
本当に、47という形さえ整えれば、それで完成なのでしょうか。
子どもたちには繰り返し伝えているつもりでします。
大切なのは、内容。
内容が豊かなでないものは、価値が低くなるのです。
内容が高く、47都道府県のすべてが終わっていることがもっとも、評価が高くなります。
内容の豊かさか、47という数か。
子どもたちの選択したのは47。
情報科な日々の課題は、内容なのです。
